冬陽の中の現代詩文庫

現代詩文庫を順番に読みます。

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〈24〉大岡信詩集

さわる 大岡信

さわる。
木目の汁にさわる。
女のはるかな曲線にさわる。
ビルディングの砂に住む乾きにさわる。
色情的な音楽ののどもとにさわる。
さわる。
さわることは見ることか おとこよ。

さわる。
咽喉の乾きにさわるレモンの汁。
デモンの咽喉にさわって動かぬ憂鬱な智恵
熱い女の厚い部分にさわる冷えた指。
花 このわめいている 花。
さわる。

さわることは知ることか おとこよ。

青年の初夏の夜の
星を破裂させる性欲。
窓辺に消えぬあの幻影
遠い浜の濡れた新聞 それを
やわらかく踏んで通るやわらかい足。
その足に眼のなかでさわる。

さわることは存在を認めることか。

名前にさわる。
名前ともののばからしい隙間にさわる。
さわることの不安にさわる。
さわることの不安からくる興奮にさわる。
興奮がけっして知覚のたしかさを
保証しない不安にさわる。

さわることはさわることの確かさをたしかめることか。

さわることでは保証されない
さわることの確かさはどこにあるのか。
さわることをおぼえたとき
いのちにめざめたことを知った。
めざめなんて自然にすぎぬと知ったとき
自然から落っこちたのだ。

さわる。
時のなかで現象はすべて虚構。
そのときさわる。すべてにさわる。
そのときさわることだけに確かさをさぐり
そのときさわるものは虚構。
さわることはさらに虚構。
どこへゆく。
さわることの不安にさわる。
不安が震えるとがった爪で
心臓をつかむ。
だがさわる。さわることからやり直す。
飛躍はない。




夏の終わりの日々には、
確かなものはなにもない、という気持ちになる。

頻繁になる。

朝焼けや
夕焼けや
暮れ方の町を通り抜ける静かな風や
日々弱くなっていく蝉の声や
子どもたちの囁くような呟きが
いまここにあるものが刹那に過ぎないことを
叩きつけるかのように
私に伝えてくる。

それは、センチメンタルな感情だが、
それ以上に、
さきほどまでしっかりと掴むことができた
あの夏空が
輝く太陽が
それを打ち返すどっしりとした固い地面が
少しずつ柔らかく変わっていき
腹の底にあったはずの確固とした夏への信頼が
薄らいでいくのに
なにか
不安な気持ちになるほうが強い。

季節の移ろいには
まるで水たまりの中に浮かんでいるような
そういった落ち着かなさがある。

だが、さわる。
この落ち着かなさをさわっていくうちに
空ろだった「季節の移ろい」は
柔らかくはあるが
確かにひとつの
「夏の終わり」という塊に
胸のうちで
ゆっくりと固まっていく。

私たちはさわることからやり直す。

そう、
飛躍はない。

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〈23〉生野幸吉詩集

雪の素描 生野幸吉

雪片がしづかにしづかにふりだしてゐた
空中にきらきらはしるひかりを感じた
(飢えよ 食ひいるやうな 五臓をぎりぎりにからめる
 飢えよ!)
てうとう                       こご
鳥頭に赤いとさかは くろずむばかりしんから凝り
鳥はかがまるゆびさきを あるきやうもなくふるはせた
藁くづや氷ったどろをまづ凸面から浮きたたせ
ふってくる冷たい花粉ははだらにつもり
まっしろな未来の景を作らうとして まっしろな総降雪
 量を
おもむろに ゆたかにみたし
               ぬぐ
もういちめんにふってくる(拭ひ消せ ぼくらのつちの
 貧困を!)
ふってくる 灰いろのかわいた影をともなひながら
ふってくる(豊富によって 殺戮的な記憶をはらへ!)
落ちてくる そらいっぱいに塞がる雪
痛みのこゑをぼくはここに禁じていよう
ぼうぼうと厚くなる 雪の幕のむかふに黒く
おともなくひとつの川は裂かれてあるが
ぼくはけふ せめてはこころを雪でみたさう
雪だけが方向もなく 悲痛を塞いでふりしきるから
やがてはひとは受けとるだろう
みるかぎりに埋没のひるまのあとで
どれもの窓が 雪のあかりを内がはへ投げ
ものおとのないあの一つのときを
                  あた
あのひとときの沈静のしづかな価ひを
くるほしい白さの狂気 塞がれきったこころに底のあざ
 むきを
ものおとのない一つのとき
ただよって たとへば壁の薄暗がりを
たましひのやうなひかりにかへる あの雪のけはひを




雪。

雪はどうして人の心を昂ぶらせるのだろう。
雨が人の感情を沈鬱へ、沈黙へ、感傷へ沈めるのに対し、
雪を見るときの人の心は、いやおうなしに広がっていく。

子供のころ、あまり雪を見慣れていなかったころは、
わずかな雪が空から落ちてきただけで、
ものすごく興奮したし、
いま、大人になりある程度見慣れてしまったあとも、
道が白くなりだしたら、
やはり興奮する。
私は東京の育ちなので、
毎日嫌になるほど雪を見ている雪国の人の気持は分からないが、
それでも、
つよい力が次々に流れ去っていく、台風や豪雨に比べ、
たくさんのものが音もなく降り積もっていく中で、
この雪はいったいいつまで降るのだろう、と考えることは
だんだん自分の心まで膨らんでいくような、
抗いきれないような、
そんな気持がするのではないか。

なぜ雪が人の心を昂ぶらせるか、
というと、私はやはりあの白さが原因ではないかと思う。
すべて色の中でもっとも光を反射する色。
雪の朝の白い道の中で、
強い光線を受けていると、
私は、
自分の中の感情がなにか底上げされていき、
まるでそれに飲み込まれてしまそうな気持になるのだ。

さらに、雪は雨と違って、周りのものを覆い隠す。
ものの境目はどんどんなくなる。
しかし、ものの境目がなくなってしまった世界の中で、
昂ぶった自分の感情だけは、
より鮮明に自覚される。

感情は
雪によって覆い隠されるのではなく、
雪によってより強く色彩が強調される。
この詩を読んだあとに残るのは
「あの雪のけはひ」、
つまりすべてを覆い隠す雪の白さだが、
同時に、雪が拭い消そうとした
「飢え」や「貧困」や「殺戮的な記憶」も
同時により強く読者に意識させられる。

それは、まるで、雪の中から顔を出す赤い椿のようだな、
と私は思う。


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〈22〉鈴木志郎康詩集

パン・バス・老婆 鈴木志郎康

バスに乗っている奴の若い女
はイヤリングをつけている 紅をつけている 下着をつ
 けている
東京だよ
ガラスのコップ
鼻毛の快楽
バスに乗っている奴の若い妻
は帽子をかぶっている バケツをかぶっている 水をか
 ぶっている
鉄骨のビルディングだよ
その間にほの見えかくれ
水仙の花びら
ねずみだよ
流し台の脚をかじる 脚をかじる 脚をかじる
眠れないのは年寄
はまぐり
海の泡

ゴムの手袋
ほらね 脚をかじる 脚をかじる 脚をかじる
リューマチは天気のせいだよ
眠れないのは年寄
隣りの工場のモーター
廻る軸だよ
モートル
バスに乗っている奴の若い妻
黄色い朝
は下着のせんたく 下着のせんたく 下着のせんたく
縁の下にいるのはねず公だよ
流し台の脚が折れた
ひらいた
洗剤の泡はエロチック
若い妻の尻

はよく練れている よく練れている よく練れている
パンの揑粉パテ
なつめ
メロン
バスに乗っている奴の若い女
はあわてて立った あわてて立った あわてて立った
なんきんまめ
皮のしめった
汗のにおい
口笛を吹いているよ
昼の月
老婆の眼玉だよ




都会というのは、だいたいにおいて不機嫌なものである。

人がやたらいっぱいいるし、
ビルがやたら生えているし、
騒音はやたら響いている。

東京だよ、と言われても、
それは不機嫌になるだろう。
なぜならそれは意識の隙間のようなものを
都会においては見つけるのが難しいからだ。

そんなとき不機嫌な詩人はどうするのか。

言葉を使うのだ。
それも言葉の意味ではなく、
言葉それ自体と戯れるのだ。
そうすれば、目の前の意味の群れから
すこし離れ、隙間から、意味のほうを見つめることができるようになる。

たとえば、あまりに鉛筆を見つめすぎると
「これは本当に鉛筆なのか?」と疑問が湧いたり、
穴の開くほどハサミを見ると、
「ハサミって本当にこんな形をしていたっけ」と思ったり、
「え」という字を見すぎると
(「ええええええええええええええええ!」)、
「え」が「え」でなくなってしまうように感じたりするように、
言葉を見つめすぎると、
言葉から意味が剥がれていく。

その、意味の剥がれた瞬間に、
詩人はするりと隙間に入り込む。
そして、いつも、現実から照らされてばかりの言葉から、
逆に現実を照らしてやるのだ。

この詩の「老婆の眼玉」がある種さわやかに響くのは、
そのようにして詩人が現実に隙間を作り出したことが、
私たち読者にも分かるからだと思う。


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〈21〉安水稔和詩集

うたう 安水稔和

歌をうたう。
いつもそうだ。
なにかをしようとすると
いつもなにかを押し殺している。
そのことに気づくのだが。
考えてみるがいい。
常に殺されていて。
殺されつづけて。
黙らされて。
だから腐っていて。
腐りっぱなしで。
だから臭気をもてあましていて。
じっとまもっているしかなく。
だから歌をうたおう
歌をうたうしか
とせっぱつまって歌をうたう。
何でもないことだ。
お茶漬けだ。
さらさらだ。
殺されていて。
殺されつづけて。
黙らされて。
いつでもそうだ。
いつものことだ。
心がふるえるのだ。
歌をうたうためには君
大声はりあげなくてもいい。
心がふるえてくるのだ。
がくがくふるえてくるのだ。
鳥よ。
飛べ。
そうだ。飛べ。
鯨よ。
喰らえ。
そうだ。腹はちきれるまで喰らえ。
海よ。
産め。
塩の渋。舌もねじきれるほど。
君よ。
きけ。
そうだ。
歌なんだ。




そうだ。
歌なんだ。
心がふるえるのだ。
ねじきれるほどだ。
腹はちきれるほどだ。
少なくとも私はいつもそうだ。
きけ。
心ががくがくふるえてくるほどのことが
短歌にも
絶対にできるのだ。
君よ。
きけ。
君よ。

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〈20〉茨木のり子詩集

汲む 茨木のり子
―― Y・Yに―― 

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇  柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりまし
 た
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです




ほんとうにそう思う。

ナイーブさがなければ、
丁寧な言葉を、
会話でも文章でも
絶対に使うことができない。

そしてそのナイーブさも
実は簡単に失われてしまう。
人間、強くなることのほうが、
ある意味簡単なんだと思う。

意志が重要だ。
「汲む」という能動的な意志が。

この詩は、
一見、弱さを肯定する言い訳のように
見えるかもしれないが、
実はまったく逆のことを言っていると
私は思う。

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